戦争中の築地の子供は今もここに暮らす

望月公二 / (昭和8年生まれ) / たまとみ

戦争中の築地の子供は今もここに暮らす  1980年代にセルフサービスによるチェーン店の喫茶店が登場して以来、雨後のタケノコのようにその手の喫茶店が増えていった。 その一方で、昔ながらのアットホームな喫茶&軽食の店が急減した。合理性のみを追求し、人と人とのふれあいが希薄になってしまった時代の象徴のような現象をさびしく感じている人も多いのではないだろうか。

築地4丁目10-12にある「たまとみ」はスタンド形式の小さな店である。前の通りを歩いていると、望月さん夫婦とお客さんとの会話、笑い声が聞こえ、暖かな雰囲気が伝わってくる。 メニューは自家製マヨネーズで作るサンドイッチをはじめ焼きそばパンやハムカツサンドなどいろいろだ。

望月さんは昭和8年、築地でよせ物の製造販売を営む家に生まれた。子ども時代に見た風景のほとんどが変わってしまったいま、最も印象深かったのは市場周辺の建物だったという。

「市場は5万坪とか、6万坪とか聞いていましたが、わたしが子どものころ、周囲の建物は軍国主義そのものでした。 海軍病院あり、海軍経理学校あり、そして海に欠かせない水路部という海の中の地図を作る国の機関もありました。 そして、すぐ近くには天皇陛下の持ち物である浜離宮があって、門には立派な軍服を着た兵隊さんが立っていて、われわれは近づくこともできませんでした。 しかし、子どもたちはそんなことは全然考えず、遊びに夢中でしたね」

いまは埋め立てられて駐車場になってしまった築地川で泳いだり、魚を釣ったりした。天気のいい日は市場通り(現在の新大橋通り)で手作りの竹馬に乗った。 当時は車がほとんど走っていなかったので、我が物顔で通りを走ったり、ころんだり。 天気の悪い日には家の軒下でメンコ、ベーゴマ、けん玉などで遊び、友だちがたくさん集まれば水雷遊びや鬼ごっこ。 この界隈には昔もいまも子どもの遊び場がなかったため、道路いっぱいを使って遊び場にしてしまった。 また、芝の増上寺まで大勢で遊びに行った。当時の増上寺は広々していて、おたまじゃくしや鬼やんまなどが飛んでいたという。

子どもたちはその時々の状況に応じて遊びを作っては実行に及んでいたので、遊びには事欠かなかったのだ。 しかし、楽しく大らかに遊びに興じていた子どもたちは、刻一刻と戦争の影が迫ってきていることなど、もちろんわかるはずもなかった。 「戦争が始まった小学4年のころに、誠心隊というのがあって、銃剣術や竹槍など兵隊の訓練をさせられました。 当時は大将になるんだという子どもばかりでしたからね。近所の若い人たちはみんな兵隊に行きました。 私は子どもながらも戦闘機に乗りたかったので、目を大事にしました。兵隊に行ってえらくなるんだなんて考えていましたよ」

小学5年のときに学童疎開で、埼玉県おぶすま村(現在の寄居の近く)にある昌国寺へ。疎開先の食事はとてもひどくて終戦当時は栄養失調になってしまったという。

「玉音放送もよくわからなかった」という子ども時代から、終戦後の混乱時期を経て大人への成長の過程は、まさに昭和20年代後半から30年代の急速な日本の経済復興と共にあったのである。

「昭和43年にグリルたまとみを開店しました。カレー、トンカツといった洋食メニューでしたが、妻の発案で昭和50年に手作り調理パン(サンドイッチ)の専門店に切り替えました」

「たまとみ」は客層が変わったが、車で来るお客さんなどからはパンならそのまま手軽に食べられるというので喜ばれた。 また、市場で働く人たちや買い物客が小腹すいたときにひょいと立ち寄れる店として利用されて、現在にいたっている。コーヒー250円は「たまとみ」を始めた当時と同じ値段である。

望月さんが築地で商売を続けてきてよかったなと思うのは、仲間がたくさんいたことである。 その象徴が、昭和45年6月に「4丁目町会で青年会をつくろう」ということで仲間が集まって結成された「四五六会」である。 同級生には東源正久の小川さんや秋山商店(鰹節)の秋山欣次さんがいる。そのほか大勢の人たちとの交流は現在も続いており、旅行などいろいろな楽しみがある。

「昔は人情があったね」と誰もが口をそろえて言う。望月さんの父が魚市場で商売していたころも、市場へ遊びに行くと、いろんな魚をくれたという。

「ここは長屋で、どこが自分のうちかわからないほどで、隣近所の家に遊びに行っちゃあ、ごはん食べていましたね。 近所のおじさんやおばさんにも怒られた。それが自然でした。だから、子どもながらにも『あそこのおじさんに怒られた』なんて文句を言ったこともなかったですよ」

そして、波除神社の祭りがにぎやかだった。望月さんは朝出て行ったきり夜遅くまで家に帰えらない。それほど祭りが好きだった。

「祭りがくると、学校をさぼっても親父には怒られなかった。そのころが一番楽しかったかな。好きなだけ遊べましたからね」

現在の場外市場について話が及ぶと、やはり最近の変貌ぶり、特に寿司屋さんばかりが目立つようになったという感想をもらす。

「瀬戸物の赤鳥居さんも道具屋の丸井屋さんもなくなって、寿司屋さんに変わりました。昔の人は築地がこんなになるなんて、想像できなかったでしょうね。 でも、いま次世代の人たちが前向きに頑張っていますから、大いに期待しています」

「たまとみ」は午前5時に開店。現在も望月さん夫婦はここで暮らしている。

(平成18年 龍田恵子著)