時代が移り変わり漬け物も変わる

大澤達之助 / (昭和11年生まれ) / 広洋

時代が移り変わり漬け物も変わる  秋田県横手市で生まれた大澤さんは、昭和31年8月に小田原にある秋山商店で漬物の漬け方から仕入れまで一通りのことを覚えた。 翌年1月から共栄会の 築地店勤務となった。そのころは大八車、リヤカー、自転車が主流の乗り物、都電、ロータリーバスが乗り物全般を占めていた。 勝鬨橋は10時と3時に真ん中から開いて、帆柱の船が隅田川に入ってきた。そんな時代であった。以来50数年、大澤さんは築地とともにあった。

「いまでこそ、漬物は浅漬けが主流になっていますが、わたしが築地店に入ったころは、一夜漬けの漬物というのはほとんどなかったですね。 当時はもちろん、ビニールの包装資材もなく、経木が一般的でした。経木をくるりと三角にして、そのなかにらっきょうや福神漬け、わさび漬けを入れ、さらに新聞紙でくるんで売っていました。 いま思うと、よくあれで商売したものです。食べ物がなかった時代だったのか、なんでも売れました」

年末になると生酢漬けの2貫目樽が毎日100本から150本も売れた。小茄子の余市漬けが20樽、金山時味噌、わさび漬けも飛ぶように売れた。 みかんの木箱にお金がどっさり。しかし、時代の変化とともに漬物にかぎらず、あらゆる商売に変化が生じたのは周知のとおりである。

「まずね、尺貫法が変わったこと。匁(もんめ)からグラム単位になったので、最初は手間どったものです。 経木がビニール袋に変わり、木箱がダンボールに変わりました。そして、スーパーマーケットの登場で、食品の小袋詰めが販売されました。 ビニールハウスで野菜の栽培ができるようになったので、簡単に浅漬けを製造するようになったんですね」

昔、梅干しなどは年に1回しか採れなかったから1年分を買い、たくわん用の大根も茄子もその季節のものであった。 野菜は季節感を失ったと同時に、台湾や中国などで梅干しやショウガが生産されるようになった。

「漬物にかぎらず、あらゆる食べ物が変化していきましたね。たとえば鮭は昔は荒巻鮭が主流でしたが、近年は輸入もののサーモンに変わりました。 人々の健康に対する意識が変わってきたころから食べ物も変わってきたのでしょう。砂糖の代わりにサッカリンやジルチンも使っていた時代でした。 サッカリン、ジルチンを使えば糖尿病も減少するんだけれどね」

そういって大笑いする大澤さんが築地に来たころ、ざるそば1枚が25円くらいだったという。いまも本願寺の横にある「更生庵」には、毎日のように行ってざるそばを3~5枚は平らげた。

都電が走っていた時代でもあった。11番が新宿行き、36番が錦糸町へ、9番が中目黒行きだった。当時の乗車券は8円だった。

「当時はフランク永井の“有楽町で会いましょう”が流行っていて、それ歌いながら都電に乗って遊びに行ったものですよ」

大澤さんは平成9年2月に秋山商店から独立して、現在地に「広洋」を構えた。業務用の漬物、佃煮を中心に惣菜、一夜漬けやぬか漬けを扱っている。 長年の経験から得た漬物に関する広くて深い知識のみならず、社会についても洞察力が鋭い大澤さんなのである。

(平成18年 龍田恵子著)