原点に立返ると新しいアイデアが生まれる

和田昇三 / (昭和13年生まれ) / 和田久

原点に立返ると新しいアイデアが生まれる  共栄会ビル1階にある「和田久」をのぞくと、会長の和田さんが実に楽しそうにトンボの絵を描いている。 目についた品物に次から次へとトンボの絵を描くのである。 物心ついたときからトンボが好きだった和田さんをここまで夢中にさせたのは、商売の鰹節との密接な関係がある。

平成7年7月から1カ月間、和田さんが鹿児島の枕崎にある鰹節の製造工場に行ったときのことである。 ちょうど鰹節を天日干しにしていたところにたくさんのトンボが飛んできて、鰹節に止まったのを見て和田さんは感激した。 トンボは幸運を呼ぶ昆虫だという。鰹節にトンボ。和田さんにアイデアが浮かんだ。「和田久」の鰹節は枕崎の太陽を存分に吸収しているのが特徴だ。 そこで、名刺に太陽とトンボの絵を描いて、知人など方々に配った。実際に名刺を手にしてみると、何やら心がすっと晴れてくる。好評だった。 その後、和田さんはトンボの絵を自社製品にのせたり、キャップやグラス、ネクタイ、ボールペン、傘やバッグに描き始めた。そう、和田さんのトンボとの出会いは鰹節の天日干しにあったのである。

「和田久」は大正14年に神戸から日本橋馬喰町へ進出して削り節店を開業したのが始まりである。 和田さんは昭和21年に築地共栄会内卸売り本店を開業したのち、中央卸売市場内にも出店。昭和34年には市場内に銘茶部「三久」を開業。 和田さんは大学卒業後に店に入った。茶屋出し2年からスタートして、父が築き上げた伝統を重んじながら、「だしがよく出て安くておいしい」と喜ばれる削り節をめざした。

「和田久」のこだわりの一つに前述した天日干しがある。鰹節は燻乾の後、そのまま削るのが一般的だが、「和田久」ではこれをさらに3時間から5時間、秋から冬には最低で5時間の天日干しにするのだ。 「昔の鰹節はおいしかったけど、いまはおいしくないということは、昔やっていたことを今やっていないということなんですよ。 だから、鰹の切り方から、煮方、骨の抜き方、火の入れ方まで、昔の原点に戻って製造しようと、11年前の7月、枕崎の製造工場に行って、 そこで、鰹節の天日干しをしました。そうすると、水分が飛んで100ケースだったものが85ケースになってしまいます。でも、手抜きした商品というのは、 それだけ水分があるということです。天日干しにはコストがかかりますが、うま味と深みのある鰹節に仕上げるには、手間ひまをかけなければならない。天日干しだと、1カ月はもちますからね」

また、それ以前の昭和63年に業界初の遠赤外線焼軟装置を導入した。 「昔は鰹節をふかしていました。しかし、それだと煮汁が出てうまみが失われてしまいます。鰹節を削る前に、 遠赤外線焼軟によって鰹節の均一な成分調整ができますので、うまみが逃げない。衛生管理面からも有効な工程です」

平成13年、和田さんは会長に就任し、息子の祐幸さんが社長に就任した。3代目が考案した、賞味期限3日の削り節はカツオの形をしたパッケージを使用。 コストは高くなってしまうが、早く食べてもらうおうという鮮魚感覚から生み出されたアイデア商品だ。 初代のこだわりは2代、3代へと引き継がれ、次から次へと新しいアイデアが生まれているのである。

和田さんは会長に就任した年に、藍綬褒章の栄誉に輝いている。削り節の日本農林規格化の発展化に関する功績、 削り節の高度品質管理推進に寄与した功績、そして地域産業の振興に寄与した功績など、斯業の発展に寄与しての受章だった。 そんな和田さんが今後の築地に寄せる期待は大きい。 「共和会ビルの窓から眺める風景だけでも大きな変化です。戦前の風情ある建物がどんどん失われて、もったいないと思いますね。 やはり、築地の原点を大切にしながら、新しさのなかに古さや粋を出していく。築地らしさを出していく方法はあるはずです。 場外市場が一つにまとまって協力していけば可能ですし、大いに期待したいですね」

両国に生まれ育った和田さんだが、幸運を呼ぶ勝ち虫のトンボを描いては、きょうも築地の空に飛ばしているのである。

(平成18年 龍田恵子著)