築地史料館:波除神社と氏子たち

波除神社と氏子たち 萬治2年(1659)の創建時より、波除神社の建つ一角は、驚くべき変遷を遂げています。江戸時代は町家(延寳)、御米蔵(元禄)、武家屋敷(享保・文化・文政)、講武所(安政)、御軍艦操練所(文久)、明治維新になると築地ホテル館、海軍造兵廠、昭和初期は海軍経理学校、戦後は米軍キャンプ、そして現在は市場関連施設です。

 こうした時代の変遷を背景に、しかし神社は一貫して、築地の氏神であり続けています。夏の風物詩ともいえる「つきじ獅子祭」は江戸初期に始まり、大正時代には各町が競って作った30対ほどの獅子頭が練り歩き、賑わいを見せていましたが、関東大震災時、社殿とともに、ほとんどの獅子が焼失しました。

 以後、昭和12年に社殿再建、敗戦直後は半纏の生地がなく、さらしで縫い、赤い染料で背に祭と書いたとのエピソードもあります。築地場外の子供たちは、神社の書道教室に通い、祭の山車をひくうちに、氏子としての自覚を自然に身につけていきました。祭には、地域の鳶の頭(かしら)も活躍します。つきじ獅子祭では、入母屋造りの伝統を受け継ぐ立派な御仮小屋が建てられますが、これは第一区六番組「す組」の頭(かしら)たちの手によるものです。2009年で350周年になりました。