築地史料館:築地本願寺と場外市場

築地本願寺と場外市場 江戸時代、明暦の大火(1657)を機に横山町から移転建立された築地本願寺とともに、その境内には寺院(地中子院(ぢちゅうしいん))58ヶ寺が集い寺町を形成していました。当時、本道は南東を向き、中央の参道には桜が植えられ、その両側に寺院、墓地、講部屋、使用人の長屋等が並び、周辺とは運河と塀で仕切られていました。とはいえ、周囲に対して閉鎖的ではなく、盆踊りなどの行事も盛んで地域の人々の出入りも多く、境内は子供の遊び場ともなり、地域のコミュニティ的な役割も果たしていました。  江戸から明治にかけて、火災が多発し、本願寺はその度に再建を繰り返してきましたが、関東大震災では、寺とともに檀家も罹災し、再建は困難でした。本堂は現地に再建するも、墓所は堀ノ内に移築、多くの寺院は東京郊外への移転を余儀なくされました。加えて震災後の道路計画により、晴海通りが新設され、境内はまっぷたつに分断、かつて寺院が軒を連ねていた側は、隣地に魚市場が移転してきたため、しだいに場外市場へと形を変えて行きました。

 現存する寺院は円正寺(えんしょうじ)、稱揚寺(しょうようじ)、妙泉寺(みょうせんじ)、善林寺(ぜんりんじ)の4寺。円正寺は側面に奥行き三尺の床店を配し、稱揚寺は門前左右に店子を置き、妙泉寺は建替えたビルの1階にテナントを入れ、今日の市場の風景に溶け込んでいます。