築地史料館:幻の築地ホテル館

幻の築地ホテル館 日本最初のホテルが南小田原町に建設されたのは1868年(明治元年)のことです。

 1858年(安政五年)の日米修好通商条約締結をきっかけに、外国人が江戸に居住する場所が必要となりました。幕府は築地鉄砲洲に外国人居留地を計画し、さらに近代的ホテルの建設にかかります。設計者は横浜・新橋の停車場を設計した米国人ブリジェンヌ。施工には現清水建設の祖、二代目清水喜助氏があたりました。通称「築地ホテル館」、外国人からは「江戸ホテル」と呼ばれます。

 木造四階建て、かわら屋根になまこ壁、ベランダのある接客室に鎧戸つきの窓をもうけ、海に面した中庭には日本庭園を築く和洋折衷様式。何より印象深いのが、火の見やぐらからヒントを得たといわれる屋上塔で、これはのちに海運橋(かいうんばし)の第一銀行など近代建築にもとりいれられました。塔上からの眺望は江戸の町並みはもとより遠く房総から富士山まで見渡す絶景だったといいます。江戸湊を行き来する帆船や白魚漁のいさり火など、外国人の眼にはさぞエキゾチックに映ったことでしょう。

 しかし、幕末から明治初年にかけて江戸東京の治安が悪かったこともあり、ホテル館を訪れる外国人客は減少します。経営難からホテル館は明治三年に閉鎖され、同五年の銀座大火により惜しくも焼失してしまいました。

 竣工からわずか五年。ひとときの幻のような存在でしたが、当時の東京市民にとってホテル館の威容はたいへんな驚きで、あたらしい首都東京の名所として数多くの錦絵に描かれています。ホテルのあった海岸辺は“ホテル下”と呼ばれ、地元の遊泳場になったといいます。