築地史料館:築地市場開設の苦難

築地市場開設の苦難 現在の築地市場水産物部は、1923年(大正十二年)関東大震災により焼失した日本橋魚河岸が移転してきたものです。単に場所を移しただけでなく、特異な歴史をもつ魚河岸が中央卸売市場として生まれ変わるのは容易なことではありませんでした。

 魚河岸は民間市場であり、大多数が問屋兼仲買として浜から魚を集荷し販売しました。また、公道使用料である板船権(いたぶねけん)や桟橋(さんばし)使用料の平田船権(ひらたぶねけん)といった特有の既得権があり、長い間につちかわれた商習慣がありました。それが中央卸売市場に再編成されて商売がまるで変わるのですから一筋縄ではいきません。中央卸売市場では集荷をおこなう卸会社と、卸会社からセリによって仕入れた魚を販売店へおろす仲卸業者に分業されます。かつての問屋・仲買は株を買って会社へ入るか、仲卸業へと転ずるかを選択しました。

 公的市場への移行によりかれらの既得権は失われてしまい、その補償をめぐっては社会事件にまで発展する騒ぎとなります。さらに卸会社を一社とするか複数つくるかで市場は二つに割れました。単一会社は市場業者の集荷力を高め、当局の管理にも有利でしたが、生産者や小売商、市場の少数派は複数会社の公平性を主張し対立します。

 さまざまな混乱を経て、ようやく昭和十一年に開場となるも、まもなく戦争による統制経済で市場機能は事実上停止。戦後はGHQの占領下におかれます。その後、複数卸会社の出現、仲卸復活によって公正公平な築地市場が機能を発揮するのは昭和30年頃のことです。築地移転から30年余にわたる長い道のりでした。