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築地で生まれ育ち、築地らしい街づくりをめざす

三宅一豊さん(昭和18年生・さかえや)

新大橋通りにある「さかえや」は昔ながらのカレーライスやステーキ丼、焼肉丼、あづま丼、定食などのメニューをそろえ、気軽にコーヒーが飲める店である。そして、三宅さん夫婦の笑顔がいいのだ。

「さかえや」は先代が現在地に食べ物屋さんを開店したのが始まりである。昭和12年ころだったという。 戦時中は統制だったため売る物がなく炊き出しなどをしていたが、戦後はコーヒーとケーキの店に戻した。 当時、扱っていたケーキ類は、エクレア、カステラ、ロールカステラ、そしてシベリアという羊羹をはさんだカステラなどだ。 「浅草橋にあったケーキ屋さんが自転車で売りに来ていたんですよ。そこが廃業したので、昭和30年代になってから、 パン屋さんからシュークリームやパウンドケーキ、アップルパイなども注文しました。アップルパイは噛んだときに中身のりんごがはみ出ないように、 三角の形に焼いてもらっていました。そこのパン屋さんのプリンはとてもおいしかったです」 最初はケーキもコーヒーも値段は30円。東京オリンピックのころに50円、そして物価の上昇とともに値上がりして、最終的には350円になった。 ちなみに、当時の銀座には不二家、アマンド、コージーコーナーといったケーキ屋があった。

昭和39年4月から2年間、三宅さんは洋服屋に勤務した。サラリーマンの経験はつらかったが、その後、商売をしていく上でずいぶんと勉強になったのだそうだ。 昭和47年にお父さんが亡くなり、お母さんが引退してからはカレーライスをはじめ、丼物、定食など食事のメニューをふやして今のスタイルに至っている。

現在、三宅さんは築地場外市場商店街振興組合の副理事長兼交通防犯部長と下部組織の築地門跡会の会長である。 振興組合は築地共和会が法人化されたものだが、その創立総会は平成5年7月30日に「築地スエヒロ」で開催された。 取材でうかがったのがつい昨日のことのように思い出されるが、三宅さんは総会の司会を務めた。 「振興組合になる1年ほど前から、共和会の法人化をめざして動いていました。直接のきっかけはゴミ問題です。 平成3年ころから、産業廃棄物問題が起きました。以前は、共和会で収集人を雇って精算していたのですが、 燃えるゴミは捨てられるけれど、燃えないゴミについては東京都のほうからどんどん規制されたので、にっちもさっちも行かなくなってしまったのです。 任意団体にしないとゴミが捨てられなくなるというので区役所に相談に行きました。早い話がゴミ問題から振興組合ができたんですよ」 当時、共和会の総務部長をしていた三宅さんは振興組合の骨組みが出来上がったあと、事務手続きなど細かい仕事のために奔走する忙しい日々が続いた。 「あのときは、困った問題が持ち上がると、みんなで役割分担をして乗り切ったものです。団結力がありました。振興組合になってからは地域をまとめるということでいろいろなイベントを始めました」

振興組合のみならず、築地の各町会も、福祉祭り、児童館祭りなどいろいろな行事をしていたが、近年、築地の活性化をめざそうということで、 築地4丁目町会、築地6丁目南町会、築地場外市場、共栄会、海幸会の5団体が「築地食のまちづくり協議会」を設立、ようやく今、築地場外エリアの足並みがそろったところである。

現在、築地中央卸売市場の豊洲への移転を見据えた、場外市場の新しい動きも水面下ではある。現段階ではオフレコだが、築地の今後の動向がとても気になる。 「最近の場外市場は見てのとおり、寿司屋さんが急にふえました。10年前とはかなり様子が違ってきています。いま、有志一同で築地らしい街づくりをめざしていろいろな計画があります」

築地で生まれ育った三宅さんは「さかえや」とともに40年、築地の変容を目の当たりにしてきた。店にやってくるお客さんも様変わりした。 昔は乾物屋さんが毎日のように電車で築地へ仕入れにきて、「さかえや」に立ち寄ってケーキとコーヒーでくつろぎ、その後、相乗りトラックに仕入れた荷物を載せて帰っていく。 そんな光景が日常だった。また、子ども時代、小田原町(現在の築地7丁目)に住んでいたときは、目の前にパンの木村家の工場があり、朝にはパンを焼く匂いがしたという。 現在の「つきじ治作」のそばからは水上バスが出ていた。月島にあった海水浴場のことなど、昔の様子を生き生きと語る三宅さんにとって築地という街は思い出の宝庫なのだ。

いまは亡き先輩たちのエピソードが懐かしい。そして、築地小学校時代に話がおよぶと、次から次へと同級生たちの知った名前が飛び出し、みなさんお元気で店に立っていることを知る。 話は尽きなかったのである。

(平成18年 龍田恵子著)